【基調講演要旨】漢字文化振興協会長・石川忠久氏 歴史文化講演会

 

◆容保公の詩に自責の念

日本人は中国から字を学んだ。もし隣がヨーロッパだったらアルファベットが入り、全然違う文化になっていただろう。日本人は文化を高めようと7~9世紀の300年間で何度も荒波を越えて中国に勉強に行った。そのおかげで漢字から仮名を作り、中国の文献も読むことができた。そのピークが江戸時代だった。

 

最初は会津藩のお殿様、松平容保(かたもり)公の詩を紹介する。

 「昔から英雄といわれる人は数奇な運命に翻弄(ほんろう)される」で始まる。2句目の「胡為(なんすれ)ぞ大樹連枝を棄つる」は「なんということか、大きな木が枝を捨てた」という訳で、大樹というのは徳川本家を指し、会津藩は見捨てられたという恨み節だ。

さらに「徳川本家への恩に報いなければならない立場にあるが、その志がまだ遂げられない。先祖からずっと受け継いだ仕事を中途半端で落としてしまった。その恨みはまだ尽きることはない」と自責の念に駆られている。

そして最後の句が意味深長だ。(江戸の)目黒に松平家の下屋敷があり、そこの橋でホトトギスが鳴いているという意味だが、ホトトギスの鳴き声は「帰ろうよ、帰ろうよ」だ。

これは会津若松市の中学、高校で教えた方がいいくらい良い詩だ。