縁や恩守り抜く 徳川宗家18代当主・徳川恒孝氏講演、歴史文化講演会「戊辰戦争 会津藩と徳川幕府」

とくがわ・つねなり 1940年、東京生まれ。学習院大在学中、英国に留学。同大政経学部卒業後、日本郵船入社。2度のニューヨーク勤務を経て同社副社長、同社顧問を務めた。徳川記念財団理事長、斯文会名誉会長、WWF世界自然保護基金ジャパン名誉会長などを務める。

会津若松市で10月21日に開かれた同市歴史文化講演会「戊辰戦争 会津藩と徳川幕府」では、会津や仙台、二本松、庄内、米沢、盛岡各藩の藩主子孫らが一堂に会し、パネル討論が行われた。
基調講演では、徳川宗家18代当主の徳川恒孝(つねなり)氏が約260年続いた江戸時代の意義を語った。

◆基調講演「江戸時代に築かれた日本の基礎」  長い平和が文化形成

150年続いた戦国時代を家康公が終わらせ、江戸時代が始まり、人々の生き方が「武」から「文」へとがらりと変わった。ここから始まる260年の平和な時代が、日本の基礎をつくっていった。今につながる日本文化は、この長い平和があったから形づくることができた。

江戸時代が始まったころの日本の人口は1200万人だったが、120年ほどで爆発的に増加し、3千万人になった。江戸も世界最大の都市に変わっていった。

だが、18世紀になると資源と人口のバランスが限界を迎えるようになった。そこで質素倹約へと価値観の転換が図られ、学問が重んじられるようになった。各藩が藩校で人材を養成した一方で、手習い所、寺子屋などが全国に設けられ、農民や町人らも文字を読めるようになった。

「金のかからぬ娯楽」として、学問、花見、寺社の祭礼などがもてはやされるようになり、18世紀末には和歌や俳句、川柳などの書籍が数多く刊行された。当時の出版数は世界的に最高水準になったという。

幕末日本にやってきた外国人は、日本の教育力に驚いた。出会ったのは、寺子屋で生き生きと勉強する子どもたちだった。だが、明治政府による西洋教育の導入で、江戸時代にあった教育は失われてしまったように思える。

もちろん、災害や恐慌もあったが、江戸時代に人々は楽しく暮らしていたようにみえる。このことを心に留めてもらえれば、家康公も喜んでくださると思う。

とくがわ・つねなり 1940年、東京都生まれ。学習院大在学中、英国に留学。同大政経学部卒業後、日本郵船入社。2度のニューヨーク勤務を経て同社副社長、同社顧問を務めた。徳川記念財団理事長、斯文会名誉会長、WWF世界自然保護基金ジャパン名誉会長などを務める。