会津への思いにじむ 漢字文化振興協会長・石川忠久氏講演 歴史文化講演会「戊辰戦争 会津藩と徳川幕府」

いしかわ・ただひさ 1932年、東京都生まれ。東京大中国文学科卒、同大学院修了。桜美林大教授、同大文学部長を経て二松学舎大学長・理事長を歴任。文学博士。斯文会理事長、全国漢文教育学会長、全日本漢詩連盟会長を務める。

◆基調講演「戊辰戦争の漢詩」

江戸時代、漢詩は日常の中にあり、多くの人が作ることができた。この時代、文化の厚い層が形成されたのだ。明治になって西洋の学問が入ってきても、慌てることなく、うまくこなすことができたのは、江戸に蓄えられた文化の力が下地になっていたためだ。

最初に紹介するのは朱子学者、山崎闇斎の「会津」。八句からなる五言律詩で、会津を礼賛するために作られた。「山廻りて四郡(しぐん)を擁(よう)し」と「湖静(みずうみしずか)にして三辰(さんしん)を涵(ひた)す」は対句になっている。「山」と「湖」を対にして、会津の自然をたたえた。

松平容保が残した「無題」は、七言律詩。この形式は難しいのだが、優れた作品になっている。中国の古典も用いていて味わい深い。

まず「胡為(なんすれ)ぞ大樹(将軍のこと)連枝(容保のこと)を棄つ」とあり、悔しさがにじんでいる。
その後には、京都守護職を引き受け、幕府の恩に報いようとしたが、志を遂げられなかった自分を責める内容になる。「万死」と一万回死んでも済まないほど、申し訳ない気持ちだとしている。

最後の「目黒橋頭(めぐろきょうとう)子規(ほととぎす)啼(な)く」は意味深長だ。目黒には松平家の屋敷があった。ホトトギスの鳴き声は中国語で「帰ろうよ、帰ろうよ」と表現される。会津に帰りたいという容保の思いが込められているように思える。

会津
山崎闇斎

自是太平客 迢迢到会津
山廻擁四郡 湖静涵三辰
千歳鶴城主 萬年亀社神
神人和楽処 日日徳風新

無題
松平容保

自古英雄多数奇 胡為大樹棄連枝
断腸三顧許身日 揮涙南柯入夢時
万死報恩志未遂 半途墜業恨何涯
暗知気運推移去 目黒橋頭啼子規