縁や恩守り抜く 義のため力集結 歴史文化講演会「戊辰戦争 会津藩と徳川幕府」

◆パネル討論「奥羽越列藩同盟 義に於いて忍ぶべからず」

(左から)酒井忠久氏、丹羽長聰氏、伊達泰宗氏、松平保久氏、上杉邦憲氏、南部利文氏、柳沢秀夫氏

〈パネリスト〉
会津松平家14代当主 松平保久氏
仙台伊達家18代当主 伊達泰宗氏
二本松丹羽家18代当主 丹羽長聰氏
庄内酒井家18代当主 酒井忠久氏
米沢上杉家17代当主 上杉邦憲氏
盛岡南部家46代当主 南部利文氏
「会津会」会長 柳沢秀夫氏

〈コーディネーター〉
漢字文化振興協会常務理事・事務局長 白石宗靖氏

◆会津や庄内救済へ結成 白石宗靖氏

しらいし・むねはる 1933年、東京都生まれ。早稲田大第一法学部卒。文祥堂に入社。セコム顧問、セコム情報システム常勤監査役などを歴任した。前仙台藩志会理事。

大政奉還で幕府は崩壊するが、薩摩藩の西郷隆盛らには幕府を武力で倒したいという思いが強かった。だが、薩摩藩から戦いを仕掛けるわけにはいかなかった。そのため、薩摩藩は江戸でテロ行為を頻発させて幕府を挑発し、戦争を始めるよう仕向けた。

戊辰戦争の緒戦「鳥羽・伏見の戦い」で幕府軍が敗れると、会津藩や、江戸の治安維持のため薩摩藩邸を焼き打ちした庄内藩は朝敵として標的にされた。

新政府軍の悪行や横暴に対し、義を重んじる東北や越後の諸藩は会津、庄内両藩を救うために奥羽越列藩同盟を結成し、軍事的に対抗した。

・何を教訓に生かすか 柳沢氏
・藩を二分する議論に 南部氏
・戦うつもりなかった 上杉氏
・東北にとっては侵略 松平氏
・先人の奮闘で今ある 伊達氏
・主力欠き壮絶な結末 丹羽氏
・西郷隆盛の見方変化 酒井氏

◆複雑な事情

柳沢 戊辰戦争の緒戦とされる鳥羽・伏見の戦いは、大きく捉えると薩摩藩の挑発に会津藩を中心とする幕府側が乗ってしまったということか。その後、「朝敵」「賊軍」のレッテルを貼られることになり、端的に言えば会津藩にとってはいまいましい戦いだ。

伊達 仙台藩は奥羽諸藩に呼び掛け、白石城で会津救済の嘆願書を策定した。奥羽鎮撫総督府に提出したが、下参謀の世良修蔵が拒否。密書に「奥羽皆敵」の文言があったことに激怒した仙台藩士が世良を惨殺した。これを契機に奥羽越列藩同盟が結成された。

上杉 会津藩の追討命令を受けた米沢藩だが、会津と米沢は豊臣秀吉の命で会津に入った上杉景勝からの深い縁があり「これは受け入れ難い」となった。当初は戦うつもりではなかったが、「小千谷談判」の決裂もあり、奥羽越列藩同盟につながっていった。

伊達 仙台藩が寛文年間の世に言う「伊達騒動」でお家取りつぶしの危機を迎えた際、会津松平家初代藩主保科正之の尽力で免れた。その恩が「義」へと続き、戊辰戦争の際に米沢藩とともに会津救済に奔走することにつながったと思う。奥州防衛の要衝だった白河口の戦いで、数では圧倒していた同盟軍が敗れたのは、火力の差に尽きるだろう。指揮官に実戦経験がなかったことも影響したと考えられる。

南部 盛岡藩では藩を二分した議論があったが、西郷隆盛や岩倉具視とも接触した家老楢山佐渡の主導もあり奥羽越列藩同盟に参加した。東北最大の仙台藩がまとめていたことも参加の理由だろう。

酒井 庄内藩は幕末に江戸の治安維持を命じられた際、北方警備に人を割かれているので無理だと断ったが、最終的に引き受けた。江戸薩摩藩邸への焼き打ちが戊辰戦争の口火となり、新政府軍にとっては旧幕府攻撃の口実にもなった。しかし戊辰戦争の戦後処理の影響からか、西郷隆盛を敬愛している人も多い。西郷は国内同様海外を見ていた人物で、日本の植民地化を恐れ、海外に立ち向かったのだろう。

丹羽 二本松藩は主力が白河口の戦いなどに出ており、城が空っぽだった。重臣会議では戦うか恭順かの議論もなされたが、最終的に少年たちも駆り出して戦わざるを得ない状況になった。二本松少年隊の多くが戦死するなど壮絶な戦いとなり、後に戊辰戦争時の藩主はとても悔やんだ。

松平 新政府軍は猛烈なスピードで城下を囲み、会津藩も主力がいないまま籠城戦に突入した。ほぼ1カ月の籠城戦を戦ったが、圧倒的な火力に太刀打ちできず、白虎隊の自刃や婦女子の自刃など悲劇を巻き起こした。戊辰戦争は全く「義」のない戦いで、東北にとっては明確な侵略戦争を仕掛けられたと捉えている。東北越後の諸藩も、新政府のやり方をおかしい、「義」に反する戦争だと受け止めたからこそ奥羽越列藩同盟が成立したのだと思う。人々に大変な苦しみを与える戦争を新政府軍がなぜ推し進めたのか疑問に思っている。

◆歴史に学ぶ

柳沢 各藩が複雑な事情を抱えていたことを、われわれも丁寧に見ていかなければならない。

松平 当時の藩は独自国家のようなもので、自分の藩の存続を考えたり、繁栄させる意識の高さは現代と全く違うのだろう。

柳沢 過去を変えることはできないが、今の時代に生きる者が何を教訓に未来に向けてどう生かしていくかを考えなければならない。

伊達 仙台藩は62万石から28万石に削減された。全てを失った仙台藩士の多くが北海道開拓に手を挙げ、今度は大自然を相手にした戦いが始まった。どんなに大変なことだったろう。大おばは、不用意に「寒い」と言ったら「泣き言を言ってはいけない」と、ひどく叱られたそうだ。先人の血と肉と心をささげた奮闘努力の上に平和な社会が成立している。子孫である私たちは恩を忘れてはいけないし、未来につなげていく役目があると思っている。

酒井 庄内藩は幕末に江戸の治安維持を命じられた際、北方警備に人を割かれているので無理だと断ったが、最終的に引き受けた。江戸薩摩藩邸への焼き打ちが戊辰戦争の口火となり、新政府軍にとっては旧幕府攻撃の口実にもなった。しかし戊辰戦争の戦後処理の影響からか、西郷隆盛を敬愛している人も多い。西郷は国内同様海外を見ていた人物で、日本の植民地化を恐れ、海外に立ち向かったのだろう。

丹羽 二本松藩は主力が白河口の戦いなどに出ており、城が空っぽだった。重臣会議では戦うか恭順かの議論もなされたが、最終的に少年たちも駆り出して戦わざるを得ない状況になった。二本松少年隊の多くが戦死するなど壮絶な戦いとなり、後に戊辰戦争時の藩主はとても悔やんだ。

松平 新政府軍は猛烈なスピードで城下を囲み、会津藩も主力がいないまま籠城戦に突入した。ほぼ1カ月の籠城戦を戦ったが、圧倒的な火力に太刀打ちできず、白虎隊の自刃や婦女子の自刃など悲劇を巻き起こした。戊辰戦争は全く「義」のない戦いで、東北にとっては明確な侵略戦争を仕掛けられたと捉えている。東北越後の諸藩も、新政府のやり方をおかしい、「義」に反する戦争だと受け止めたからこそ奥羽越列藩同盟が成立したのだと思う。人々に大変な苦しみを与える戦争を新政府軍がなぜ推し進めたのか疑問に思っている。

◆歴史に学ぶ

柳沢 各藩が複雑な事情を抱えていたことを、われわれも丁寧に見ていかなければならない。

松平 当時の藩は独自国家のようなもので、自分の藩の存続を考えたり、繁栄させる意識の高さは現代と全く違うのだろう。

柳沢 過去を変えることはできないが、今の時代に生きる者が何を教訓に未来に向けてどう生かしていくかを考えなければならない。

伊達 仙台藩は62万石から28万石に削減された。全てを失った仙台藩士の多くが北海道開拓に手を挙げ、今度は大自然を相手にした戦いが始まった。どんなに大変なことだったろう。大おばは、不用意に「寒い」と言ったら「泣き言を言ってはいけない」と、ひどく叱られたそうだ。先人の血と肉と心をささげた奮闘努力の上に平和な社会が成立している。子孫である私たちは恩を忘れてはいけないし、未来につなげていく役目があると思っている。

◆「会津会」会長 柳沢秀夫氏
1953年、会津若松市生まれ。早稲田大政治経済学部卒。NHK解説主幹を経て9月に退局し、10月からフリージャーナリストに。2017年から会津会会長。

◆盛岡南部家46代当主 南部利文氏
1970年、東京都生まれ。東京工業専門学校卒。オリックス・セラミック代表取締役、南部恒産代表。日本ビリヤード協会理事長や岩手県内の各種団体要職を務める。

◆米沢上杉家17代当主 上杉邦憲氏 
1943年、東京都生まれ。東京大大学院修了。宇宙航空研究開発機構(JAXA)宇宙科学研究本部教授を務め、小惑星探査機「はやぶさ」などを主導した。JAXA名誉教授。

◆会津松平家14代当主 松平保久氏 
1954年、東京都生まれ。学習院大卒。NHKでドラマや音楽、映画関連番組のプロデューサーを務めた。現在はNHKエンタープライズのプロデューサー。

◆仙台伊達家18代当主 伊達 泰宗氏
1959年、東京都生まれ。宮城教育大修了。学芸員として伊達家ゆかりの歴史遺産の修復を手掛ける歴史の専門家。仙台商工会議所顧問、仙台藩志会総裁を務める。

◆二本松丹羽家18代当主 丹羽 長聰氏 
1944年、東京都生まれ。日本大文理学部卒。松下電工(現パナソニック)に入社し郡山工場長などを務めた。定年退職後、丹羽家当主として二本松市との絆を強める。

◆庄内酒井家18代当主 酒井 忠久氏 
1946年、山形県鶴岡市生まれ。成蹊大政治経済学部卒。地元の製糸会社に入社。致道博物館長、松ケ岡開墾場総長、日本美術刀剣保存協会長などを務める。