山川健次郎の素顔探る 会津若松の顕彰会、孫ら招き鼎談会

鼎談に参加した服部さん(左)と(左3人目から)森事務局長、木下さん。左から2人目は同席した宗像会長

会津藩家老の三男として生まれ、後に東京帝国大学総長などを務めた教育者山川健次郎の隠れた人柄やエピソードを探ろうと、会津若松市の山川健次郎顕彰会(宗像精会長)は18日、同市で山川の孫らを招いた鼎談(ていだん)会を開いた。子孫らが山川の素顔や、家族に受け継がれた会津の精神性などについて語り合った。

鼎談は、戊辰150年と顕彰会設立15周年の節目に合わせて行われた。顕彰会の森武久事務局長が進行役を務め、山川が亡くなるまで、一緒に暮らした孫の服部艶子さん(91)=東京都、ひ孫の木下健さん(69)=長崎市=が語った。

宴席に出席することがほとんどなかった山川だが、服部さんによると、自宅では分量を守って、晩酌を楽しんだ。服部さんは「いつもおかんで飲んでいた。祖父の座る右側に火鉢があり、そこに鍋があって、温めていた」と振り返った。木下さんは「堅くて、面白みがなかったと言う人もいるが、家庭の中では優しい父だったと祖母の照子(山川の三女)から聞いている」と話した。宗像会長と、山川のひ孫の青島温子さん(58)=東京都=が同席した。