戊辰戦争で意見交わす 会津藩の功績検証、若松で徳川みらい学会

戊辰戦争時の会津藩の立場について意見を交わした原田氏(左)と森田氏

265年に及ぶ平和を築いた徳川時代の歴史的意義を考える「徳川みらい学会in会津」は27日、会津若松市で開かれた。「徳川幕府の始まりと終わり~会津藩の視点から」がテーマで、参加者が会津藩が果たした役割などを学んだ。

徳川みらい学会(事務局・静岡商工会議所)の主催、会津若松商議所と会津方部商工観光団体協議会の共催。静岡県以外での開催は2016(平成28)年10月の会津若松市、京都市に次ぐ3回目。今回は戊辰150年の節目に合わせて会津若松商議所が誘致し、約350人が聴講した。

同学会長で戦国時代史研究の第一人者・小和田哲男静岡大名誉教授(74)が「会津藩祖・保科正之」と題して講演。小和田氏は、初期の江戸幕府を支え、文治政治を確立した保科の生い立ちや会津藩主としての功績などを語った。

作家・歴史評論家原田伊織氏(72)と本紙連載「維新再考」にも登場した社会思想史研究の森田健司大阪学院大教授(43)との対談は、「戊辰150年~会津藩が果たしたもの」がテーマ。原田氏は「戊辰戦争は政権奪取とは別の目的を持った報復戦争と考えられる。鳥羽・伏見の戦いで『朝敵』のレッテルを貼られた長州藩が自ら朝敵処分を解き、会津藩をターゲットにした」と語った。

これに対して森田氏は幕末期の諷刺(ふうし)錦絵などを紹介し、「錦絵の内容から、江戸の庶民が会津藩を頼りにし、期待していた様子が分かる。庶民は新政府軍を否定し、旧幕府軍の勢力挽回を願っていた」と語った。

幕府を支え、文治政治を確立した会津藩祖・保科正之について語る小和田氏

◆徳川みらい学会長・小和田哲男氏、講演要旨

保科正之は家臣たちに「当家は、上様(将軍)から、特別の恩顧を受けた家である」と言った。父の秀忠、兄の家光から、特別に目をかけてもらったという思いがあった。すると当然、ほかの大名よりも忠誠心を持たなければならないという思いが強くなった。それが「家訓(かきん)十五箇条」に反映され、戊辰の歴史につながっていった。

この時代の大名は、民政を重んじたが、正之はその上を行った。年貢率を減少させ、災害救助のための米を備蓄した。

会津で善政を敷いただけでなく幕藩体制の中で大きな力を発揮した。明暦の大火で、江戸城天守が焼け落ちると、正之は四代将軍家綱を補佐しながら、天守の再建よりも庶民の生活を思って、江戸の町の復興にお金を回すべきだと主張し、その意思を通した。それ以来、今に至るまで天守が建てられることはなかった。