長州藩士・世良修蔵、半世紀ぶり法要へ 福島の長楽寺「敵であっても等しく慰霊」

「150年の節目に慰霊したい」と語る中野住職。世良ゆかりの史料を見つめる=福島市舟場町・長楽寺

戊辰戦争で東北諸藩と新政府軍との開戦の契機となった長州藩士・世良修蔵(せらしゅうぞう)の暗殺事件は、150年前の旧暦・慶応4(1868)年閏(うるう)4月20日未明、現在の福島市で起きた。世良が斬首された場所に近い長楽寺=同市舟場町=で20日午前11時から、命日に合わせた法要が約50年ぶりに行われる。横暴な振る舞いで東北諸藩からは悪名も高かった世良だが、関係者は「戊辰戦争から150年の節目。死者を等しく慰霊したい」と冥福を祈る。

「世良は東北にとって因縁の人物。会津に好きな人はいないのでは」と語るのは、歴史研究家の石田明夫さん(60)=会津若松市。世良暗殺に連動して会津藩は慶応4年閏4月20日、白河市の小峰城を奪取し激戦の「白河口の戦い」が始まり、奥羽越列藩同盟の結成によって戦火は拡大する。

福島市史などによると、世良は新政府の奥羽鎮撫総督府下参謀(しもさんぼう)に就き、3月に会津藩征伐のために仙台に派遣された。会津藩に同情的な仙台藩に出兵を促し、傍若無人な振る舞いで反感を高めた。仙台、米沢両藩の会津藩救済の嘆願も否定する強硬姿勢を続けた。

運命の閏4月19日。世良は福島城下の旅籠(はたご)「金澤屋」(福島市北町、国道4号付近)に宿を取った。下参謀の薩摩藩士・大山格之助宛ての密書が漏れ、寝込みを襲われた。近くの旅館「客自軒」(福島市民家園に移築)で尋問され、その後、斬首されたという。石田さんは暗殺について「東北をないがしろにしたことがいけなかった」と話す。

「世良が殺された場所は寺の裏の竹やぶと聞いている」と語るのは長楽寺の中野重孝住職(65)。同寺の過去帳には世良の法名があるほか、遺体を埋めて供養し、地蔵尊を安置した記録が残る。「当時は敵であったとしても供養はするべきだ」と中野住職。法要には檀家(だんか)らが出席を予定しており、「戊辰の歴史を再確認する機会にしたい」と意義を語った。

史料を一般公開

法要に合わせ、長楽寺は20日、所有している世良修蔵の史料を一般公開する。世良が宿泊した「金澤屋」を営んでいた斎藤家から預かった史料約20点が並ぶ。史料は、世良の密書と伝わる書簡をはじめ、世良を供養した斎藤家宛ての新政府や大山格之助、世良の親族からの手紙など。