水戸藩士、4年ぶり慰霊 会津若松・諸生党鎮魂碑前で子孫ら

追悼文を読み上げる大森会長

戊辰戦争の際、会津藩とともに新政府軍と戦い、数人が戦死した水戸藩の保守・門閥派「諸生党」の子孫ら有志でつくる水戸殉難者恩光碑保存会(水戸市、大森信明会長)は16日、会津若松市の白虎隊記念館敷地にある「水戸藩諸生党鎮魂碑」を訪れ、会津で命を落とした諸生党藩士を慰霊した。

諸生党は戊辰戦争の際、奥羽越列藩同盟軍の傘下に入り新政府軍と戦った。土佐藩兵を主力とする新政府軍が鶴ケ城追手門に迫った際は北越戦線から会津に戻っていた諸生党が駆け付け、危機を救ったという。手薄となった城内各門の防御を担い、城外でも会津藩とともに奮戦したとされる。有志が2000(平成12)年5月、信念を貫いた諸生党や農兵隊を慰霊するため同所に鎮魂碑を建立した。

白虎隊記念館には、水戸を脱した諸生党軍の中心だった家老・市川三左衛門の陣羽織も展示されている。

同保存会と会津史談会(成田勝義会長)は交互に訪問を続けており、同保存会が慰霊に訪れるのは14年以来、4年ぶり。同日は大森会長ら同保存会の会員、秋葉宗志(かずし)水戸市副市長ら水戸市の関係者、中山義雄幕末維新水戸有志を偲ぶ会長ら約20人が訪問。慰霊祭では、大森会長が鎮魂碑前で「歴史を客観的に見直す動きを加速させたい」と追悼文を読み上げた。