世良暗殺で同盟変化 各藩の視点で討論、「会津救う」から戦争へ

パネリストを務めた(左から)酒井氏(庄内藩)、稲川氏(長岡藩)、甲斐原氏(仙台藩)、遠藤氏(米沢藩)、中岡氏(会津藩)

戊辰戦争の際に奥羽、北越の諸藩が新政府軍に抵抗するため結んだ「奥羽越列藩同盟」に焦点を当て、郷土の歴史家が当時を掘り起こすシンポジウム「東北・北陸における戊辰戦争―奥羽越列藩同盟と会津」は19日、会津若松市の会津大講堂で開かれた。各藩の動きや複雑な”事情”が明らかになり、来場者からは「今まで知らなかった歴史を学ぶことができた」と、新たな発見を喜ぶ声が出た。

会津若松市の戊辰150年記念事業で、市と市戊辰150周年記念事業実行委員会の主催。メインのシンポジウムでは歴史コメンテーターでテレビ出演、日本史講師でも知られる金谷(かなや)俊一郎さんが進行役を務め、庄内藩酒井家18代当主酒井忠久氏(庄内藩)、河井継之助記念館長の稲川明雄氏(長岡藩)、作家・仙台郷土研究会員の甲斐原康氏(仙台藩)、九里学園高教諭の遠藤英氏(米沢藩)、若松城天守閣郷土博物館副館長の中岡進氏(会津藩)が意見を交わした。

討論では、薩摩、長州、土佐、会津など各藩の因縁が渦巻く中で戊辰戦争に突入していったことが指摘され、甲斐原氏(仙台藩)は「『会津を追討せよ』と要請があったが大義がはっきりせず、先延ばししようとしていた。奥羽鎮撫総督府下参謀の世良修蔵を暗殺したことで一大戦争に発展してしまった」と述べた。

酒井氏(庄内藩)は「奥羽越列藩同盟は話し合うための同盟だったが、世良暗殺などもあり、戦うための同盟になってしまった」と指摘した。中岡氏(会津藩)は「(会津藩が新政府に行った)謝罪嘆願の内容に自己主張が入りすぎたかもしれない」と語った。

稲川氏(長岡藩)も奥羽越列藩同盟が新政府軍の攻撃対象となった会津、庄内両藩を救う同盟から時代の潮流で変化が起きたことを指摘、遠藤氏(米沢藩)は「幕末の動きに各藩がのみ込まれていった」と表現した。甲斐原氏は「世良暗殺が決定的誤りだった。思想より地域を優先し同盟を結んだため急ごしらえだった感は否めないのでは」と考察した。

基調講演する金谷さん

◆「戊辰」見直す大きな岐路 金谷さん基調講演

シンポジウムを前に基調講演した金谷俊一郎さんは「当たり前とされてきた歴史を再度、科学的に検証する動きが活発化している」と述べ、歴史への見方や意識が変わっていることを指摘。戊辰150年の節目を捉え、客観的に戊辰戦争を検証し直すことの意義を語り、「会津藩が『朝廷に歯向かった』などの表現も見受けられるが、評価を見直す大きな岐路を迎えていると思う。肝心なことは、地元の動きだ」と語った。

金谷さんは、会津藩主・松平容保(かたもり)が京都守護職を引き受けるまでの歴史のゆがみを解説し、「尊皇攘夷(じょうい)を掲げる側からの矢面に立たされることは明らかだったが、辞退すれば保身のためと思われると引き受けた。決死の思いで、国難を切り抜けるために決断した」と分析した。