歴史語り継ぐ 松平保久氏・講演要旨、会津若松で戊辰150年記念式典

会津若松市で22日行われた戊辰150周年記念式典で、会津松平家第14代当主の松平保久(もりひさ)さんは歴史を語り継ぐことの大切さを訴えた。

戊辰戦争で新政府軍に降伏し、容保(かたもり)公は差し出した降伏文書に「幕末の戦は全て自分の責任で、大罪である」と書かざるを得なかった。降伏文書からは容保公の悲痛な思いが感じられた。

開城後は多くの藩士が謹慎し、斗南(となみ)藩などへの移住を強いられた。移住先では経済的に厳しい生活を送りながらも、会津の再興を願っていた。

容保公の孫、勢津子さまが秩父宮殿下に嫁ぎ、「朝敵」の汚名を着せられた会津の人に希望をもたらした。

晩年の容保公は徳川家とゆかりの深い日光東照宮の宮司として維持管理に奔走し、最後まで徳川家への忠誠を貫いた。困難な歴史を歩んできたにもかかわらず、はい上がり、世の中のために尽くそうという「会津人の強さ」を先人から感じる。会津の人には苦渋の幕末の歴史に強い誇りを持って、未来につないでいってほしい。

◆県内首長、関係者ら決意

戊辰150年の節目に集った関係者は史実を次世代に語り継ぎ、未来につなげることの大切さをかみしめた。二本松少年隊の悲劇で知られる二本松藩があった二本松市の三保恵一市長は「二本松藩は会津藩と一心同体で戦った。歴史や価値観を共有、共に歩むことが犠牲になった先人への恩返しになる」と決意を語った。

新政府軍を恐れさせた攻撃部隊「十六ささげ隊」(豆の「ささげ」が由来)でも知られる棚倉藩があった棚倉町の湯座一平町長は「奥羽越列藩同盟ゆかりの自治体との深いつながりを再確認できた。ゆかりの自治体と文化的、人的交流を深めていきたい」と言葉に力を込めた。

先人顕彰団体として表彰を受けた中野竹子顕彰会の中島吉昌会長(65)は「戊辰戦争がなくても時代は変わっていたと考えると憤りが先に立つ。歴史を正しく伝えることで未来に生かしていきたい」と語った。