連 載

【維新再考・時代の落日】会津編8 籠城1カ月、苦渋の降伏

会津藩は1868(慶応4)年8月23日、新政府軍によって鶴ケ城を急襲された。籠城戦を選んで反撃を繰り広げていくが、新政府軍の包囲が拡大し、9月中旬には鶴ケ城は完全に孤立、9月22日に降伏・開城した。約1カ月の籠城戦の末、 […]

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【維新再考・時代の落日】会津編7 只見にあふれた避難民

越後と南山(奥会津)を結ぶ峠道「八十里越(はちじゅうりごえ)」。吉ケ平(新潟県三条市)から叶津(只見町)まで続く約32キロの険しい山道を越え、1868(慶応4)年8月、新政府軍に敗れた越後・長岡藩から多くの人々が南山に逃 […]

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【維新再考・時代の落日】会津編6 南山の暮らし守る戦い

会津戦争の終盤、激戦が繰り広げられた南山(みなみやま)(奥会津)では、戦国時代までこの地を治めた領主の子孫が、農兵隊を率いた。中世の主従関係を下地にした農兵隊は強い結束力を示し、新政府軍を追いやった。それから150年、古 […]

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【維新再考・時代の落日】会津編5 魔の10日間、耐えて反撃

会津戦争で戦ったのは、武士だけではなかった。鶴ケ城で籠城戦が続いていた頃、「南山(みなみやま)」と呼ばれた奥会津一帯では、侵入した新政府軍を農兵隊がじりじりと押し戻していた。戦いには戦国時代まで南山を治めていた領主の子孫 […]

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【維新再考・時代の落日】会津編4 西へ、南へ避難民の列

鶴ケ城での籠城戦は約1カ月続いた。この間、城内へ入ることのできなかった武士の家族らは、農村や山へと苦難の逃避行を強いられた。しかし、戦火は、それを追い掛けるように、会津各地へ広がり、一般の領民たちも苦難を強いられたという […]

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【維新再考・時代の落日】会津編3 過去知れば未来変わる

会津戦争をたどる「維新再考」会津編の第3回。旅の同行者として迎えた会津会会長の柳沢秀夫さんが登場するのは今回が最後となる。1868(慶応4)年8月23日から約1カ月に及んだ会津藩の籠城戦に焦点を当てながら、柳沢さんが戊辰 […]

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【維新再考・時代の落日】会津編2 正規兵少なく進軍許す

戊辰戦争の最大の悲劇、会津戦争をたどる「維新再考」会津編。第2回も在京の会津出身者らでつくる「会津会」会長の柳沢秀夫さんを旅の同行者として迎えた。1868(慶応4)年8月22日、白虎隊が出陣命令を受けた旧滝沢本陣をスター […]

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【維新再考・時代の落日】会津編1 「鶴ケ城」悲劇の幕開け

白亜五層の天守がそびえる鶴ケ城。本県を代表する観光地会津の象徴として人々を引き付けるのは、表情を持つからだろう。日の光の下の美しい立ち姿。それが夕暮れには、物悲しさが加わり、夜は静寂に包まれる。この表情の移ろいが、戊辰戦 […]

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【維新再考・信義の抗戦】二本松編4 朝河貫一、武士道の原点

義を貫いて落城した二本松藩に焦点を当てる「維新再考」の二本松編。1868(慶応4)年7月29日の落城後も、藩士たちは城奪還に向けて懸命に戦った。その後、明治初期の「廃藩置県」で二本松藩が消滅して以降も、旧藩士やその家族は […]

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【維新再考・信義の抗戦】二本松編3 庶民の暮らしも犠牲に

信義を尽くして落城した二本松藩に焦点を当てる「維新再考」二本松編。第3回は二本松藩の庶民がテーマ。農兵として新政府軍と戦ったり、新政府軍の強奪に遭ったり、戦略のために家を焼かれたりと、武士だけでなく庶民の被害も甚大だった […]

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【維新再考・信義の抗戦】二本松編2 郷土思い散った少年隊

壊滅的な被害を受けて落城した二本松藩に焦点を当てる「維新再考」二本松編。第2回は戊辰戦争の悲劇の象徴の一つ「二本松少年隊」をテーマに据える。会津藩の白虎隊よりもさらに幼い少年たちが前線で戦い落命している。出陣に至る経緯や […]

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【維新再考・信義の抗戦】二本松編1 二本松攻め、三春先導

戊辰戦争で二本松藩は、玉砕とも言えるほどの犠牲を出した。新政府軍が白河を占領し、太平洋側からの進攻も続けていた1868(慶応4)年7月のことだ。「維新再考」第6部は、会津や仙台に続く奥州街道の要衝にあった二本松藩が壊滅へ […]

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【維新再考・動乱の舞台】京都編1(下)内戦に奪われた日常

鳥羽・伏見の戦いのもう一方の舞台で、開戦の地となった鳥羽(京都市伏見区)へ向かう。開戦地は当時の鳥羽街道上で鴨川に架かる小枝橋付近という。橋を渡れば京まで一直線で、直線距離で10キロ足らずだ。 ◆正月から家追われる 旧幕 […]

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