【維新再考・識者に聞く】中村 彰彦さん(2)  差別を生んだ順逆史観

賊軍の汚名を背負った会津藩の正当性を主張する作家の中村彰彦さん。第2回では「逆賊を滅ぼしたのが戊辰戦争」という歴史観について迫っていく。

◆国定教科書まで影響

歴史は勝者によって書かれる。だから敗者の歴史は陰に埋もれて消えてしまう。

戊辰戦争は長らく「正義の軍隊(官軍)が、逆徒である賊軍を討ち滅ぼし、近代国家・明治を成立させた」と定義付けされた。

この場合、天皇に従順だったのか、天皇に逆らったのか―という単純な二元論でしかみていない。つまり、恭順か、反逆か、「順」と「逆」のいずれか、という考え方で、極めて狭く安い考え方といえよう。私は、こうした見方を「順逆史観」と呼んでいる。

いまどき、こんな歴史観を持つ人はいない。だが、明治以降の問題点として、国が戊辰戦争を振り返ったとき、この順逆史観が正式見解だった。戊辰戦争に勝利した薩長側がつくり上げたのだ。だから「薩長史観」「官製史観」と言い換えてもいい。

端緒は1867(慶応3)年10月、薩長側に下された偽勅とみられる「討幕の密勅」に起因する。そこには大政奉還を行った将軍・徳川慶喜を「賊害」「この賊」「賊臣」と3度も「賊」の字で表現している。

さらに「会津宰相」(京都守護職の松平容保)と「桑名中将」(京都所司代の桑名藩主・松平定敬。容保の弟)の追討を命じる別の密勅には「幕賊」(幕府という賊徒)という言葉もある。これにより「会津、桑名両藩主は幕府を助けたのだから賊徒」との論理が展開された。

日本人がそもそも持つ二元論の発想も影響している。例えば「源氏と平氏」「徳川と豊臣」などは各時代の対立概念として刷り込まれている。戊辰戦争の順逆史観も、戊辰戦争の勝者が生み出した宿命的な二元論にすぎない。

やがて順逆史観が一般化する。薩摩藩と佐賀藩出身の明治、大正の歴史学者2人がそろって唱え、旧文部省などのお墨付きになったためだ。この2人が修史事業を行ったので、幕末維新史は旧幕府軍側に厳しい内容になった。

会津差別にも発展していく。元会津藩士の山川浩が西南戦争の軍功で陸軍少将になった時、長州藩出身で戊辰戦争では会津に攻め込んでいる山県有朋が「賊徒会津の出身者を少将にするとは何事だ」と怒鳴った話は有名だ。

会津蔑視が如実に表れている記述もある。

「会津藩主松平容保は、奥羽の諸侯と申し合わせ、若松城に立てこもって官軍に手向かった。官軍は諸道から進んでほとんど一箇月も城を囲んだので、城中のものはとうとう力が尽きて降参した」

薩長もひどい文を書くもんだと思いきや、驚くことに文部省編纂(へんさん)の国定教科書(注) 「尋常小学国史」の記述である。官軍とあるのだから、半面には賊軍がある。旧幕府軍側の戦死者が家族にいれば「おまえの肉親は賊徒として死んだ」と言われたも同然だ。

日ごと、このような文章を朗読させられた会津人の子弟の屈辱と悲しみは大きかったろう。大人もおかしいと感じてはいたが、順逆史観一色の中で、口には出せない情勢だった。

戊辰戦争から70年以上経過した1940(昭和15)年、「この記述は改訂させねばならぬ」と、日本初の教科書改訂運動をした会津人たちがいた。中心人物は、後に会津若松市・飯盛山にある白虎隊記念館を創立した故早川喜代次氏(1999年死去)。当時は、有力言論人の徳富蘇峰(とくとみそほう)(1863~1957年)の顧問弁護士として活躍しており、蘇峰もこの運動の端緒に大きく関わった。

《(編注)徳富蘇峰は熊本県出身で、「国民之友」「国民新聞」を発刊するなどした言論人。1937年5月9日に会津で、39年3月5日には東京で講演し「会津は勤皇の家柄だが、一晩で逆賊になった。その裏には、何者かの魂胆があったと見るべきだ。どうしても幕府を倒したい薩長が、徳川や会津に朝敵の汚名を着せた」という趣旨の発言をした。この講演が発端となり、会津人の教科書改訂運動が始まった

早川氏は、在京会津出身者で団結し、文部省に対して記述を改訂するよう交渉談判を始めた。「官軍の文字を除くこと」「賊軍はいないことを明記」「松平容保公が孝明天皇から御宸翰(ごしんかん)を賜り信任されていたことを明記」などを求めた。要望が受け入れられ、41年に全面改訂された。

 《(編注)早川氏は著書で教科書改訂を「地下に眠る旧会津藩の先輩たちの歓喜の心が推察できる」と喜んだ。賊軍の汚名について「勝った西軍(新政府軍)が負けた会津にウソ勝手につけたものにすぎない」と言い切っている

戦前の会津の教師は「教科書はでたらめ」と分かっていたが、国には逆らえなかった。そこで証拠が残らないよう青空教室で戊辰戦争の歴史を教えて抵抗した。以前、私が会津で講演した時「先生から聞いた」という高齢男性がいた。声でしか本当の歴史を語れない時代があった。

 ※「戊辰戦争」「明治維新」を新たな視点で問い直す長期大型連載「維新再考」は、引き続き福島民友新聞で毎週月曜日に掲載します。どうぞお読み下さい。

 ※「識者に聞く」第1部で掲載された中村彰彦さんの記事は、福島民友新聞社が発行した保存版で、お読みいただけます。

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なかむら・あきひこ 1949(昭和24)年生まれ。栃木県栃木市出身。宇都宮高、東北大文学部卒。文芸春秋勤務を経て91年から文筆活動に専念。主に幕末・維新期の群像を描いた作品を執筆している。94年の第111回直木賞を受賞した「二つの山河」など会津に関する著作が多い。68歳。

注)国定教科書 国が教科書の編集・発行の権限を占有する制度で、文部省が発行し全国一律で用いられた。明治初めは検定済教科書が使われていたが、近代教育制度の整備に伴い、明治政府が徐々に教科書選択に介入。1903(明治36)年、教科書の贈収賄事件を契機に国定教科書制に踏み切った。会津藩に関する記述がある「尋常小学国史」は、大正になって発行された。