【維新再考・識者に聞く】森田 健司さん(1-2) 平和の願い会津に託す

◆諷刺錦絵気持ち代弁 

突然の暴力で平穏な日常を奪われた江戸の庶民。戊辰戦争への思いを知りたければ、同時期に発行された諷刺(ふうし)錦絵(諷刺を込めた錦絵)を眺めるのが一番だ。

そもそも江戸時代、庶民が社会に対する批判を表立って行うのは、ほとんど不可能だった。行為が発覚すれば瞬時に捕縛され命を奪われたからだ。現代でいう「表現の自由」はない。どうしても声を上げたいときは、匿名性が担保された落首(らくしゅ)や落書(らくしょ)を行った。

この状況に一石を投じるのが江戸時代に大流行した「判(はん)じ物」(判じ絵)である。作成者が文字や絵画に特定の意味を隠し、それを当てさせるようにした「絵で見るなぞなぞ」で、人物や人名、動植物、道具などあらゆるものが題材となった。そして判じ物に強烈な批判を込めた諷刺錦絵が登場したのである。

戊辰戦争の諷刺錦絵は、庶民の気持ちと戊辰戦争の模様を盛り込んでいる。しかし、一見すると真意がつかめず、相当に高度な判じ物となっている。解読に成功した者にだけ制作者の真意が伝わるものだった。解読の手掛かりは、着物の柄やセリフなどに隠されている。

(森田健司さん所蔵)

 (森田健司さん所蔵) 江戸の庶民の心情、会津藩への期待が強く込められた戊辰戦争の
諷刺錦絵「常磐津稽古所」。画面右側の中央に位置、着物に「會」の字が入った人物が
会津藩を指している。画面左側の建物外にいる人物は薩長など新政府軍 を示している 

 

まず紹介したいのは「常磐(ときわ)津(づ)稽古所(けいこじょ)」と題された一枚。発行時期は1868年6月以降で、東北での戦況が激化し始めた頃と推察できる。稽古所の師匠を務める「あつみ太夫(たゆう)」は画面右側の中央にいる人物で、会津藩を示している。着物に「會」の字が大胆に書き込まれておりすぐに読み解ける。江戸の庶民にとって、旧幕府軍の中心は会津藩であった。

会津藩の人物のセリフは「正さん 毎日、戦(いくさ)の話でいけませんねえ 早く穏やかにしたいものでござります」。腕を組み、顔を前に突き出している左の男は、着物に酒井氏の家紋「カタバミ」があるので庄内藩を示す。

「正さん」は「しょうさん」と読み、庄内藩に向けられた言葉である。

「毎日、戦の話」とあるので、東北での戦闘が相当激しいと分かる。「早く穏やかにしたい」とは何か。庄内藩の人物のセリフ「千さん 穏やかにするのはお師匠さんが出なければいけませんよ」から、お師匠さんである会津藩の出撃こそが穏やかにするため必要だと言っているのだ。

「千さん」は仙台藩で、左隅で腕を組み歯を見せた人物。会津藩が全力を出せば新政府軍など簡単に打ち負かせられるという趣旨のセリフを述べる。このやりとりから、江戸の庶民は幕府復活への希望を失っていない。彰義隊が簡単に潰(つぶ)され(元将軍)徳川慶喜が謹慎しても、庶民の多くは平穏な江戸の世が再び戻ることを願っていた。

女性のうち二人は、薩摩藩から徳川家に嫁いだ「天璋院(てんしょういん)」と、同じく徳川家に嫁いだ孝明天皇の妹「和宮」。二人は一貫して徳川家の味方であったため、新政府軍へのけん制を込めた表現といえる。

諷刺錦絵は現在確認されているだけでも150種類を超える。制作者側は商売なので、より多く売れるものしか作らない。そのため「民衆の考えに近いもの」が多く作られたのだろう。錦絵からは作者の意図、民衆の戊辰戦争の見方が分かる。連載を通して、明治維新以降の”正史”から消えた庶民の心情を見ていく。(つづく)

もりた・けんじ 1974(昭和49)年、神戸市生まれ。京大経済学部卒、京大大学院人間・環境学研究科博士後期課程単位取得退学。現在は大阪学院大経済学部教授。専門は社会思想史で、特に江戸時代の庶民思想の研究に注力している。著書に「明治維新という幻想」「江戸の瓦版」などがある。

※「戊辰戦争」「明治維新」を新たな視点で問い直す長期大型連載「維新再考」は、引き続き福島民友新聞で毎週月曜日に掲載します。どうぞお読み下さい。