【維新再考・識者に聞く】森田 健司さん(7) 明治政府紡いだ「正史」

 

江戸時代の庶民の視点から戊辰戦争を検証している大阪学院大教授の森田健司さん。まとめの第7回は江戸の庶民の心情を踏まえながら、明治政府のイメージ戦略について語っていく。

(森田健司さん所蔵)

(森田健司さん所蔵)明治10年に発行
された西南戦争や士族反乱を諷刺した錦
絵「陣屋祝の餅搗(じんやいわいのもち
つき)」(部分)。戊辰戦争という暴力
で政権を奪取した薩長が、同じように暴
力で悩まされる状況を描いている。

◆歴史観、現代まで影響

戊辰戦争の諷刺(ふうし)錦絵は150種を超える。多くが旧幕府軍の勝利を願い、新政府軍を嫌っている。これが江戸の民衆の大多数の考えだ。民衆が幕府を支持した理由は、長らく続いた平和が新政府軍によって乱され、日常生活が営めなくなった。さらに新政府軍の非道な行為にも反発したのである。

これら庶民の心情は正史から消し去られている。明治維新の実像をみると、国を良くしようというよりも、権力欲しさに政権を奪取したにすぎない。決して旧幕府の腐敗を正そうとか、民衆が抑圧から解放されるためではない。現実を知れば、旧幕府側が悪という薩長史観のゆがみを感じる。

1869(明治2)年5月の箱館戦争終結で、戊辰戦争の幕が閉じた。新政府軍は軍事力によって国内統一を遂げ政権を奪った。戦争によって政権を得るのは古今東西で例がある。しかし、戊辰戦争が異様なのは、話し合いで解決しようとした旧幕府側を、あらゆる手を尽くして戦争に誘い出し、見せしめとして会津藩を血祭りに上げたことだ。

政権を奪った明治政府がすべきはなにか。まずは権力を維持・存続させる政治体制の整備だ。そして明治政府の正当性を証明し喧伝(けんでん)する「イメージ戦略」にも注力した。薩長の私利私欲のイメージを払拭(ふっしょく)したのである。そのために戊辰戦争が避けがたいものだったと発信した。「旧(ふる)く悪(あ)しき徳川幕府」を「自由・平等・博愛を旨とする明治政府」が圧倒したという「正史」を紡いだのだ。

明治政府は、まだ政治体制が安定する前の1872(明治5)年から史料収集と正史編纂(へんさん)を始めた。最終的には、東京帝国大臨時編年史編纂掛が1889(明治22)年に初の官撰維新史「復古記」として完成させている。「旧く悪しき江戸時代と輝かしき明治時代」との見解が「事実」に転化していく始まりである。時間の経過とともに受容され、学校教育として新しい時代にも定着していった。

明治政府のイメージ戦略は現代にも影響を与えている。正史編纂事業は明治後期に大規模化し、薩長出身者らが顧問として加わって「文部省維新史料編纂会」として始動する。そして同編纂会がまとめた資料が近世史や近代史、義務教育の教科書の基になった。

「明治政府こそが近代日本をつくりあげた」。教科書からは、明治維新とは「庶民が抑圧された江戸時代」を超克したものであるといった印象を受ける。しかし明治政府が政権を奪取した方法は、過剰に暴力的で極端に利己的だった。歴史観に賛否あるが、明治政府の樹立までに、無数の命が奪われた事実を忘れてはならない。

どの国の歴史も連続性で語られるのが当然だ。しかし、明治政府がつくった薩長史観は日本の歴史を断絶させている。江戸時代が築いた「非戦の美学」は精神文化の到達点である。対する明治政府は暴力肯定派で、軍事力増強で近代日本を完成させようとした。江戸時代が完全無欠などと言いたいわけではないが、明治政府が否定した江戸時代のまばゆさに魅力を感じざるを得ない。

「明治維新150年」が盛り上がってきた。「国を憂う若者が維新の志士になった」との実態とは異なる紹介に、正邪の構図も強まる。中立の立場で実像を知ることが大切で、諷刺錦絵の訴えなどに目を向けることも参考になる。150年の節目は維新か戊辰か。どちらにしても人々の関心が高まることで歴史を見直す好機である。

◆黒船来航隠された記録

戊辰戦争後、明治政府が取り組んだイメージ戦略は感嘆するほど成功を収めている。そもそも「維新」という言葉自体、戦略の一環である。維新とは「あらゆることが一新されること」で、「明治政府になって世の中が良くなった」というニュアンスが込められた。

(森田健司さん所蔵)

(森田健司さん所蔵)ペリーとの交渉について
記した幕府側の議事録「墨夷応接録」の写本。

 

幕府批判で最も有効だったのは対外関係だ。例えばペリー艦隊の来航時、「江戸城内が大騒ぎになった」という話が今も事実とされる。
実際は幕府に事前に連絡があり、幕府内部は混乱もなく平静だった。そして、客観的にみればペリーは幕府に巧みにあしらわれた。

翌年再来航した際の条約交渉で、ペリーは幕府の大学頭(昌平坂学問所長官)の林復斎(はやしふくさい)の弁論に打ち負かされ、切望した通商項目を条約に入れることができなかった。当時を代表する儒学者に一軍人がかなうはずはなく当然の結果である。

ではなぜ前述の誤解が生じたか。明治政府は、幕府の役人を弱気に描き、自らの功績を誇示する内容のペリーの遠征記の出版を制限せず放置した。対する幕府側の議事録「墨夷応接録」は存在しなかったようにした。これが結果として事実改変につながる。

墨夷応接録には、ペリーが要求を取り下げ、うろたえる様子が記録されている。幕府の高い外交能力を示す内容で、隠さねばならなかった。ペリーの遠征記がさまざまな出版社から発刊されるのとは対照的に、墨夷応接録は長らく公表されず、今も単独発刊されていない。

もりた・けんじ 1974(昭和49)年、神戸市生まれ。京大経済学部卒、京大大学院人間・環境学研究科博士後期課程単位取得退学。大阪学院大経済学部教授。専門は社会思想史で、特に江戸時代の庶民思想の研究に注力している。最新刊に作家原田伊織氏との対談「明治維新 司馬史観という過ち」。

(森田健司さんの「維新再考」は今回で終了します)

大型連載企画「維新再考」の第1部「識者に聞く」のうち、第2シリーズ「中村彰彦さん編」(全7回)が保存版になった。すでに保存版にまとめた第1シリーズ「半藤一利さん編」とともに福島民友販売店で無料配布している。
提供についての問い合わせは福島民友新聞社販売局(電話024・523・1472)へ。

※「戊辰戦争」「明治維新」を新たな視点で問い直す長期大型連載「維新再考」は、引き続き福島民友新聞で毎週月曜日に掲載します。どうぞお読み下さい。