【維新再考・動乱の舞台】京都編3 異郷に散った会津武士

幕末の動乱の地をたどる「維新再考」第2部。東京などの会津出身者でつくる「会津会」会長で会津藩士子孫の柳沢秀夫さん(64)=NHK解説主幹=は、幕末のひのき舞台である京都市を歩いている。名刹(めいさつ)・金戒光明寺(こんかいこうみょうじ)では会津墓地を訪ね、京都の治安維持に尽力して落命した会津藩士らに思いを重ねた。

在京中に亡くなった会津藩士の墓地を訪ねる柳沢さん=京都市・金戒光明寺

◆君臣一致で任果たす

京都の人々に「黒谷(くろだに)さん」と親しみを込めて呼ばれている金戒光明寺は、京都盆地の東、京都市左京区黒谷町にある。平安時代も末期、比叡山で修行を終えた僧法然(浄土宗開祖)が初めて草庵を結んだのが開山の縁起だ。現在は浄土宗大本山の一つとして、江戸時代に建てられた阿弥陀堂や巨大な山門、付随するいくつもの塔頭(たっちゅう)寺院が立ち並ぶ。

とにかく人が多い京都だが、金戒光明寺の境内は不思議と静寂に包まれている。京都でも指折りの景観スポットとして知られ、緑豊かな境内を進めば、すがすがしい気分になる。「この場所は会津人にとって聖地といえる場所です」と、柳沢さんは緊張感のある表情を浮かべた。

「徳川家と盛衰存亡を共にすべしとの家訓(かきん)もある。決心するよりほかはない」。幕末の会津藩主・松平容保(かたもり)は、何度も固辞した京都守護職の任をついに拝命する時、こう決意を示した。容保の悲痛極まる言葉に胸打たれた家臣は「君臣もろとも京都を死に場所にしましょう」と応じ、互いに涙した。「君臣一丸の結束力が結果として滅びの始まりとなる」と柳沢さんは歴史を振り返った。

◆◇ ◆◇

暗殺や強奪が日常化した幕末の京都。京都守護職に就いた容保は1862(文久2)年12月、藩兵1千人を率いて上洛した。本陣となったのが金戒光明寺だ。京都守護職屋敷が現在の京都府庁の場所に建てられ本陣が移るまで、宿舎となった。御所から東に約2キロと近い。藩兵1千人が駐屯できる約4万坪の広さがあり、市街地を見渡せる小高い丘に城構えの構造という好条件がそろっていた。

「遠く離れた京都で活動した会津藩士も、きっとこの景色を眺めたのでしょう」。境内の東側を見晴らしの良い奥の方へ、塔頭・西雲院近くまで上る。市街地を見つめて先人の残影を追った。京都の治安回復の一方で会津藩の犠牲は大きく、戦病死した藩士らのために約300坪の墓地が整備された。「会津墓地」(會津藩殉難者墓地)。柳沢さんが聖地と言う場所だ。

「蛤(はまぐり)御門」「文久三年」「元治元年」「慶応三年」…。柳沢さんは苔(こけ)むした墓石に刻まれ、風化で薄れかけた文字をさすりながら読み上げた。蛤御門の変(禁門の変)の戦死者や、治安維持のために倒れた藩士、望郷の念を抱きながら病没した人など237人のほか、鳥羽・伏見の戦いの戦死者115人を合祀(ごうし)している。

明治後期建立の慰霊碑に献花し、手を合わせた。「君臣一致で義に生き、異郷の都に散った人々。戊辰戦争では『朝敵』『賊軍』とされて滅藩ともいえる状況に陥った結末を考えると、無念さと悲しさが込み上げてくる」。慰霊碑には鶴ケ城などの写真がいくつも供えられ、墓参者向けのノートには全国各地の人々が会津への思いを記している。

先人を慰める現代人の優しい心に触れながら、「西日本では『明治維新150年』だが、会津人としては『戊辰150年』の他にはない」と改めて実感。「今も会津と京都はつながっている。150年の節目は、先人の生きざまを見つめ直し、絆をさらに強めたい」。京都にひっそりと残る「会津人の聖地」で柳沢さんは誓った。

◆◇ ◆◇

鶴ケ城攻略に向けた新政府軍布陣の図面が展示されていた=京都市・霊山歴史館

金戒光明寺から山裾を南へ2キロ余、清水寺近くまで下る。幕末史を専門とする博物館「霊山歴史館」(京都市東山区)を訪ねた。会津藩などの佐幕派、薩摩藩や長州藩などの倒幕派に関する資料が展示され、歴史を両面から学べる。老若男女の歴史ファンでにぎわう観光スポットになっている。

「佐々木只三郎について知りたい」と柳沢さんは言った。佐々木は会津藩出身で、幕府の警察組織・京都見廻組で活躍。坂本龍馬の暗殺(1867年・近江屋事件)を指揮したとされている。

副館長の木村幸比古(さちひこ)さん(69)が案内してくれた。木村さんは幕末史の著書が多く、テレビ出演もこなす京都の顔役の一人。佐々木が鳥羽・伏見の戦いで着用したとされる血染めの鎖かたびら、龍馬暗殺時に使われたとされる刀などの展示品を紹介し、京都見廻組の活動や会津藩との関係を語った。

「龍馬暗殺の実行犯は佐々木が指揮した京都見廻組が最有力。でも暗殺を命じた者は今も謎」と木村さん。黒幕は会津藩や薩摩藩など諸説ある。龍馬は公議政体(幕藩体制立て直しと諸侯会議を核とする新国家構想)を主張した。暗殺によって結果的に反武力倒幕派を減らしてしまったといえる。

「薩長史観や敗者の視点に凝り固まらず、多角的に歴史を見つめることが重要」。柳沢さんは歴史の再検討に改めて意欲を燃やす。「また会津ゆかりの地を巡りましょう」。柳沢さんが京都を歩く”時間旅行”はひとまず終わった。
「維新再考」京都の旅は次回から、会津ゆかりの人々を訪ねる。

佐々木只三郎 会津藩士の三男で幕臣の養子となった。幕府講武所で剣術の師範役を務めた剣豪で、新選組結成に関わる。幕臣らでつくる京都見廻組に加わり、与頭(くみがしら)(隊長)として京都の治安維持に努めた。薩長同盟の仲介役となった坂本龍馬暗殺を指揮したともいわれる。鳥羽・伏見の戦いで被弾、和歌山まで落ち延びたが死亡した。

やなぎさわ・ひでお 1953年、会津若松市生まれ。会津高、早稲田大政治経済学部卒。77年にNHK入局、横浜、沖縄各放送局記者を経て84年から外信部記者。バンコク、マニラ各特派員、カイロ支局長を歴任しカンボジア内戦、湾岸戦争などを取材した。現在はNHK解説主幹で、生活情報番組「あさイチ」に出演している。2017年から会津会(東京都)第8代会長。64歳。

※「戊辰戦争」「明治維新」を新たな視点で問い直す長期大型連載「維新再考」は、引き続き福島民友新聞で毎週月曜日に掲載します。どうぞお読み下さい。

連載「維新再考」の第1部「識者に聞く」のうち、「中村彰彦さん編」(全7回)、「磯田道史さん編」(全3回)、「森田健司さん編」(全7回)は保存版があり、福島民友販売店で無料配布している。なお第1シリーズ「半藤一利さん編」は好評のため品切れ。

提供についての問い合わせは福島民友新聞社販売局(電話024・523・1472)へ。