【維新再考・動乱の舞台】京都編4 激流に誠貫いた新選組

幕末の政局の中心地・京都。動乱の地をたどる「維新再考」第2部は今回から、会津藩ゆかりの場所や人々を京都周辺に訪ねる。まずは歴史ファンの多くが思い浮かべる最強の剣客集団「新選組」に焦点を当てる。

◆「悪役」一転人気者に

壬生塚にある新選組の近藤勇胸像。今も新選組ファンが絶えない

不逞(ふてい)浪士に恐れられた新選組。今は小説に映画にと人気の的だ。個性際立つ強者(つわもの)が幕末の激流に立ち向かう姿が魅力で、どの土産物店にもグッズが並ぶ。ファンが足を運ぶのが、最初に屯所を構えた京都市中京区の壬生(みぶ)。京都御所から南西へ約2キロ離れ、江戸時代は農村地帯だった。

1863(文久3)年に上洛した浪士組は、壬生の郷士・八木家の屋敷などに分宿した。尊皇攘夷(じょうい)が目的と判明すると、近藤勇(注1)土方歳三(注2)らが反対し、京都守護職の会津藩主・松平容保(かたもり)に嘆願書を出して会津藩預かりの「壬生浪士組」(後の新選組)となった。

「ここが新選組誕生の場所。門柱に新選組屯所の表札を掲げて治安を守った」。八木邸で八木家15代当主の八木喜久男さん(79)に聞いた。西本願寺に屯所を移す65年までの約2年間、八木邸は新選組の本拠となった。現存する母屋は、発足当時に実権を握った筆頭局長・芹沢鴨(注3)が63年9月、近藤一派に暗殺された現場だ。

芹沢が寝入っていた座敷に座ってみた。説明が続く。「襲われた芹沢は、八木家の母子が寝ている隣の部屋に逃げ込んだ。文机につまずき転んだところで、とどめを刺された。ちょうどこのあたり」。鴨居(かもい)には刀傷が残り凄惨(せいさん)さを物語る。八木邸は有料公開されている。

新選組の会津藩への忠誠は本物だ。容保が京都守護職を転任する際に反発し、会津藩が財政窮乏に苦しむと金策で貢献した。会津藩も新選組を利用した。他藩を気に掛けながらの治安維持活動では、藩預かりという「微妙な立場」の新選組が使いやすかった。だが結果的には、新選組への倒幕派の恨みは会津藩にはね返ってきた。

西本願寺に屯所が移った後も新選組と八木家の縁は切れず、隊士がよく訪れた。鳥羽・伏見の戦いで江戸方面に敗走する新選組を、八木家の人々は心配したという。喜久男さんは「新選組は会津藩に忠義を尽くそうと必死だった」と語気を強めた。

新選組が屯所として利用した八木邸

◆◇ ◆◇
平安時代創建の壬生寺も訪ねた。新選組は境内で武芸や大砲の訓練をしたり、伝統の壬生狂言を鑑賞したりした。「壬生塚」には隊士の墓や局長近藤勇の胸像などがある。色恋話が多い新選組だが、訪問時も女性ファンが多かった。

胸像脇に「誠」の文字が入った絵馬が下がる。「剣道の上達」「平穏無事な暮らし」…。さまざまな願いが込められ、アニメキャラクターであふれる。本人たちが知ったら、さぞ驚くに違いない。

「京都新選組同好会」建立の慰霊塔もある。新選組を愛する組織は全国にあるが、同好会は1976(昭和51)年結成の草分け。局長の横田俊宏さん(72)=京都市=が30歳で発足させた。

「幕末の民衆は、治安維持に励む会津藩や新選組を頼もしく感じたはず」。けれども、同好会発足当時、京都では新選組は悪役だった。功績を知ってほしかった。「今では人気者。伊藤博文(長州出身の初代内閣総理大臣)を知らない人も、近藤勇や土方歳三は知っている。戊辰戦争で賊軍とされた会津藩も見直されるべきなんだ」と語った。

新選組を一躍有名にしたのが1864年の「池田屋事件」。八月十八日の政変で京都を追われた長州藩などの過激浪士が「都に火をかけ、混乱に乗じて天皇を長州に拉致」する計画を企てた。察知した新選組は池田屋を襲い7人を斬殺、23人を捕縛して京を守った。

池田屋跡では全国チェーンの居酒屋が営業し、新選組にちなんだ内装やメニューを展開する。「新選組や会津藩、幕末のファンが多く来店する」と店長。新選組好きの店員には長州、土佐(山口、高知両県)出身者もいた。時代は変わりつつある。

(注1)近藤勇 武蔵国多摩の豪農出身で、天然理心流4代目宗家。浪士募集に応じて上洛、新選組局長として市中警備や池田屋事件で名をはせた。戊辰戦争で斬首。

(注2)土方歳三 武蔵国多摩の豪農出身。新選組副長。組織統率で力を発揮し「鬼の副長」と恐れられた。戊辰戦争では会津などを転戦し最後まで抵抗した。

(注3)芹沢鴨 水戸藩出身の浪士。壬生(みぶ)浪士組の筆頭局長。酒乱癖と伝わる。粗暴な性格でたびたび騒動を起こし近藤勇らと対立、八木邸で近藤一派に暗殺された。

◆新選組の京都での活動年表(旧暦)◆
文久3(1863)年
2月 幕府が江戸で浪士組参加者を募り京都に出発
3月 京都に残った近藤勇らが会津藩預かりとなり「壬生浪士組」を名乗る
8月 会津、薩摩両藩などの公武合体派が長州藩などの尊皇攘夷派を京都から追放(八月十八日の政変)。壬生浪士組は活躍が認められ「新選組」を拝命
元治元(1864)年
6月 尊皇攘夷派を襲撃(池田屋事件)
7月 長州藩勢力が京都御所を襲撃し、新選組を含む幕府軍と衝突(蛤御門の変)
慶応3(1867)年
6月 新選組総員が幕臣になる
10月 大政奉還
慶応4/明治元(1868)年
1月 鳥羽・伏見の戦い。会津藩などと共に伏見で戦う

※「戊辰戦争」「明治維新」を新たな視点で問い直す長期大型連載「維新再考」は、引き続き福島民友新聞で毎週月曜日に掲載します。どうぞお読み下さい。

連載「維新再考」の第1部「識者に聞く」のうち、「中村彰彦さん編」(全7回)、「磯田道史さん編」(全3回)、「森田健司さん編」(全7回)は保存版があり、福島民友販売店で無料配布している。なお第1シリーズ「半藤一利さん編」は好評のため品切れ。

提供についての問い合わせは福島民友新聞社販売局(電話024・523・1472)へ。