【維新再考・明日への伝言】現代編3 山川健次郎、雪冤に尽力

戊辰150年の今年、薩長史観を問い直す動きが各地で活発だった。源流といえる人物が会津藩出身で東京帝大総長などを務めた山川健次郎だ。現在に続く会津の立場から見た歴史認識の形成に大きな役割を果たした。対立している歴史認識について有識者に聞いた。

◆歴史認識の形成

安倍晋三首相は8月、鹿児島県で気になる発言をした。今年が明治維新から150年に当たることに触れ「薩摩(鹿児島県)と長州(山口県)で力を合わせ、新たな時代を切り開いていきたい」と述べた。安倍首相は山口県が地盤であり、幕末の「薩長同盟」を念頭に言及したのだろう。

この発言に対し、立憲民主党の枝野幸男代表が「薩長を強調するのは国を分断するような話で、国全体のリーダーとしては間違った言い方」とすぐさま批判している。新政府軍が会津藩などの旧幕府勢力を破った歴史に思いをはせ、「維新150年」と「戊辰150年」の並立が頭をよぎる。

青山学院大准教授の小宮さん

◆「御宸翰」会津の義証明

歴史認識の対立について、日本現代史が専門の青山学院大文学部准教授の小宮京(ひとし)さん(42)に話を聞いた。小宮さんは「安倍首相の歴史認識より、むしろ枝野代表が即座に反応したことに注目した」と意外な返答。「2人のやりとりは150年を経ても、国内で歴史認識が違うことを象徴している。さらに会津の立場から見た歴史認識は薩長とまったく違う」と指摘。そして「鍵は山川健次郎(以下、健次郎)が握っている」という。

健次郎(1854~1931年)は会津藩の白虎隊士で、明治以降は東京帝大、九州帝大、京都帝大の総長を務めるなど近代日本の教育界に足跡を残した。会津藩の幕末の歴史をまとめた「京都守護職始末」(1911年)や「会津戊辰戦史」(1933年)の編集に関わり、現在に続く会津の歴史認識の形成に大きな役割を果たした人物だ。

小宮さんは会津の歴史認識をこう要約する。「まず会津は『朝敵』でなく、新政府軍と同じ『勤王』(天皇に忠義を尽くす)であると再定義する。会津が朝敵ではない理由は、孝明天皇の御宸翰(ごしんかん)(直筆書簡)。これが孝明天皇が会津を深く信頼していたことを示し、会津の義を証明する」

御宸翰について最初に刊行したのは1897(明治30)年の「史談会記録」だが、世に知られなかった。その後、会津藩出身で初代長崎市長の北原雅長の「七年史」(1904年)などで触れられ、健次郎が関わった「京都守護職始末」が刊行されて広く世に知られた。健次郎は「七年史」に寄せた文で、会津藩を「佐幕勤王」と位置付け、「世間は排幕勤王(薩長側)の歴史があふれている」と嘆いている。

健次郎が「京都守護職始末」を刊行する過程で、長州出身の陸軍中将・三浦梧楼との交渉が逸話として残る。御宸翰を脅威に感じた三浦が、健次郎に公表の見合わせを依頼するもので、見返りに会津松平家に下賜金があった。健次郎は政府の反発を考慮してか、兄(山川浩)名義で発刊した。小宮さんは「当時、会津から見た歴史を世に出すことは大変困難だった」とみる。

いざ刊行されると、健次郎はさまざまな人に「京都守護職始末」を送った。さらに晩年は戊辰戦争の歴史を見直す「会津戊辰戦史」を監修し、会津の立場を主張した。目的は戊辰戦争で朝敵とされた会津藩の「雪冤(せつえん)」、つまり名誉回復にある。小宮さんは「健次郎の考えが著作を通して会津の歴史認識へとつながり、現代でも薩長と対峙(たいじ)している」と結論付ける。

健次郎の雪冤としてもう一つ挙げられるのは、昭和天皇の弟である秩父宮雍仁(やすひと)親王と松平家出身の勢津子妃の結婚である。勢津子妃の父の松平恒雄は幕末の会津藩主松平容保(かたもり)の四男。1928年に結婚が実現すると、朝敵とされた会津関係者は大いに喜び、会津にとって大きな転機となった。小宮さんは「健次郎は一貫して松平家を立てるべく政府高官と折衝し大きな役割を果たした」と評する。

健次郎は雪冤に手応えを感じていたに違いない。だが、安倍首相の発言をみても、戊辰戦争の「勝者」の歴史認識は現代も根強い。小宮さんは「明治維新史の研究でさえ使われる史料は薩長史観が強く、『敗者』は無視されている。薩長中心の歴史認識が残る状況を改善するため、健次郎と会津の歴史認識をさらに検討すべきだ」と語気を強めた。

大勢の山口県民の前で講話する宗像さん=2017年11月26日、山口県萩市

◆安倍首相の引用に驚き

会津の歴史認識に起因して、今も長州藩(山口県)にわだかまりを持つ会津関係者は多い。元会津若松市教育長で會津藩校日新館館長の宗像精さん(85)は「会津は『賊軍』でも『朝敵』でもないのに長く汚名を着せられたのが問題だ」とみる。自身も子どもの頃に「会津が賊軍」とする教科書を使い、親からは会津は悪くないと教えられてきたため「薩長憎しの感情が残っている」という。

2017年11月、長州藩の城下町・山口県萩市の市民有志に招かれ、多くの山口県民の前で講演した。会津の先人の苦労を伝えて「会津と長州は簡単に仲直りはできない。だけど仲良くはできる」と語った。一方で戊辰戦争後に長州藩士(奥平謙輔、前原一誠)が会津藩主らの助命嘆願や会津藩の子弟(山川健次郎、小川亮)の育成を支援してくれたことに感謝した。「いつまでも恨みつらみばかりでは仕方ない」と語る。

安倍晋三首相は1月の施政方針演説で山川健次郎の言葉「国の力は、人に在り」を引用した。山川健次郎顕彰会の会長も務める宗像さんはこの発言にとても驚いた。「安倍首相には『会津は賊軍ではない』とぜひ明言してもらいたい」と期待を寄せる。いつまでも注目されるであろう会津と長州の和解。「会津も長州も同じ日本人。一緒に世界のために貢献しなければならない。民間レベルで黙って交流できる関係性になれたらいいね」