【維新再考】浜通り編(中) 「鉄壁」平城、激戦16時間

1868(慶応4)年夏。浜通りの戊辰戦争は、新政府軍が、奥羽越列藩同盟軍の拠点、磐城平城(いわき市)に急迫するが、城の守りは堅く同盟軍が2度の攻撃を退けた。そして城を巡る3度目の攻防は、朝から深夜まで16時間に及ぶ大激戦になった。浜通り編・中編は、いわき地域学會副代表幹事の夏井芳徳さん(58)と、激戦の地をたどる。(日付は旧暦)

銀座通りから真っ正面に見える磐城平城の本丸跡を指し示す夏井さん=いわき市平字田町

◆弾薬尽き自ら火放つ

「あそこが城の本丸、三階櫓(やぐら)の立っていた所です」

いわき市平字田町。再開発ビル「ラトブ」の西側、銀座通りの路上から夏井さんが指さす北の方角には、小高い丘が見える。

磐城平城は現在のJRいわき駅北側の丘陵にあった。周辺は繁華街。戦場とはかけ離れた光景だ。

しかし「まさに、この辺一帯で150年前、16時間に及ぶ激戦が続いた」と夏井さんは話す。

いわきの戊辰戦争では、磐城平城を巡る攻防が6月29日と7月1日、同13日の3度行われた。つまり、連戦連勝だった新政府軍は2度、城攻めに失敗した。

城に陣取った磐城平、仙台、相馬各藩など同盟軍の守りが堅かったわけだが、守りやすく攻めにくい城の構造が力を発揮した。

城の堅固さについては、薩摩藩私領二番隊の記録「私領二番隊戦状」に「奥州第一之堅城とやらにて、内堀は深く、殊に城郭は高くして、急に難乗入(のりいれがたし)」とある(夏井芳徳著「いわきの戊辰戦争」より)。

切り立った丘の上の本丸と、平地との標高差は約30メートル。さらに本丸には高さ13メートルの三階櫓など、10メートルを超す2基を含め複数の櫓が建てられた。この高所からの銃撃も強力だった。

磐城平城の完成は江戸時代初期の1614(慶長19)年。徳川家康の家臣で、02年に磐城平藩の初代藩主に就いた鳥居忠政が10年以上かけ築いた。仙台藩に対する備えが目的だったという。

夏井さんは「この築城は言うなれば家康が命じた直轄事業。戦国時代に地方の武将が造った館とは堅ろうさが違った」と説明する。

この堅城に対し新政府軍は7月1日の第2次攻撃で弾薬を撃ち尽くし小名浜へ撤退。援軍と補給を待ち12日後の同13日、総勢2千人とも4千人ともいわれる大軍で、城内の同盟軍約700人に総攻撃をかけた。これが第3次攻撃だ。

前日の12日、小名浜などから〈1〉鹿島街道〈2〉海沿い〈3〉湯長谷経由の3ルートで進軍を始めた新政府軍は13日午前8時、濃霧の中、磐城平城への攻撃を開始した。雨が強くなる中、城の南東、新川町や鎌田町辺りから城下に攻め込んだ薩摩藩などの部隊は、不明門(あかずもん)(外郭の南門)を突破。現在の銀座通りやいわき駅の周辺で同盟軍と激しい戦いを繰り広げた。

「新政府軍は、不明門南の地蔵堂(現常陽銀行付近)に大砲を据えた。だが不明門は破れず、兵士が土塀を乗り越え内側から鍵を開けた。突入した門の内側では敵味方が入り乱れ、鉄砲が撃てず、刀を抜いての乱戦になった。櫓の上からは激しく撃ち下ろされた。新政府軍側は地獄の進軍になった」

そう話しながら夏井さんは、銀座通りから並木通りへ右に折れ、いわき駅へ向かう。それが、まさに150年前の地獄の進軍ルート。「薩摩兵らは追手門へは向かわず東側のからめ手に向かった。ただ銀座通りの先は、数人の命知らずが長時間、撃ち合い、切り合いながら本丸を目指した」

駅のペデストリアンデッキへ上り、駅の北側へ抜けると本丸のあった丘が全体を現した。

ほぼ正面、丘の東手に細い上り坂が見える。昔からの坂道で、上り口には枡形門(ますがたもん)(裏門)と呼ばれる門があったという。薩摩兵と同様、この坂を目指し跨線橋(こせんきょう)を渡る。橋の下は深い内堀の跡。当時の地形が今でもよく分かる。

坂道の奥にも本丸へ上る小道や石垣が残っていた。「薩摩兵は本丸真北の埋門(うずめもん)まで進むが、突破できなかった。本丸までは崖を挟み約10メートルだが、夜10時ごろで悪天候のため位置関係が分からなかった。昼間なら援軍を呼んでいただろう」と夏井さんは推察する。

城の西でも砲弾の飛び交う激戦が展開された。相馬藩主名代・相馬将監が率いる同藩の部隊と、磐城平藩・桑原重衛門の部隊などが六間門や高麗門の守備で奮戦、最後まで守り切った(相馬藩の部隊は精鋭約200人が7月7日、援軍として入城していた)。

この日、新政府軍は参謀が日没での撤退を検討したが、隊長らの主張で攻撃は夜も続いた。それでも同盟軍は敵の本丸侵入を許さなかった。しかし午前0時ごろ本丸から火の手が上がった。同盟軍は弾薬が尽き、撤退を決定。自ら火を放ったのだった。落城とは言えないような幕切れだった。

現在、いわき市では夏井さんが講師を務める戊辰戦争の市民講座が盛り上がっている。夏井さんは「いわきには戊辰戦争の記憶が身近にあり、その歴史を学びやすい。だが、私たちが戊辰戦争の歴史から学び取らなければならないのは、戦争を繰り返してはいけないということだと思う」と言う。

夏井 芳徳(なつい・よしのり) 1959(昭和34)年、いわき市生まれ。京都大文学部卒。いわき地域学會のメンバーとして郷土史研究をはじめ幅広い分野で活動。2014(平成26)年、県文学賞(小説・ドラマ部門)正賞受賞。いわき明星大客員教授、いわき地域学會副代表幹事。著作に「ぢゃんがらの国」「いわき語の海へ」「いわき学講座(1)」ほか。

※「戊辰戦争」「明治維新」を新たな視点で問い直す長期大型連載「維新再考」は、引き続き福島民友新聞で毎週月曜日に掲載します。どうぞお読み下さい。

連載「維新再考」の保存版は、第1部「識者に聞く」のうち、「半藤一利さん編」(全7回)、「中村彰彦さん編」(全7回)、「磯田道史さん編」(全3回)、「森田健司さん編」(全7回)の4編があります。福島民友販売店で無料で提供しています。問い合わせは福島民友新聞社販売局(電話024・523・1472)へ。