【維新再考・信義の抗戦】二本松編2 郷土思い散った少年隊

壊滅的な被害を受けて落城した二本松藩に焦点を当てる「維新再考」二本松編。第2回は戊辰戦争の悲劇の象徴の一つ「二本松少年隊」をテーマに据える。会津藩の白虎隊よりもさらに幼い少年たちが前線で戦い落命している。出陣に至る経緯や戦いぶり、そして現代に生きる藩士子孫らの思いに触れていく。(日付は旧暦)

先祖の山岡栄治が新政府軍に斬り込んだ場所周辺を歩く知剛さん。写真奥が大壇口、道路が旧奥州街道=二本松市

二本松市の霞ケ城公園の「二本松少年隊群像」。敵に銃撃や砲撃、突きを仕掛ける少年兵の姿。傍らには子どもの軍装を仕立てるため針仕事をする母。古里を守る少年の勇敢さ、家族の悲しみを表現している。少年兵は12~17歳の62人で、主に城下の守備に配置され、14人が戦死した。急きょ出陣が決まったため記録はあまりなく、二本松少年隊の隊名も後世に付けられた(「二本松市史」など)。

新政府軍は1868(慶応4)年7月27日、現在の本宮市から進軍した。二本松藩の主力は態勢が整わず城下が手薄で、兵力不足を察した少年たちが出陣を嘆願した。戦況悪化で出陣許可年齢も引き下げられ、数え13歳(12歳は例外)から出陣した。「ようやく許可され小躍りして喜んだ」と出陣許可を得た少年兵の思いが「二本松藩史」に記されている。

家族との逸話が残る。13歳で戦死した岡山篤次郎は「自分の死体を捜すとき分かりやすいように」などの理由で、着物などに名前を書いてもらった。16歳で戦死した上崎鉄蔵は母との別れ際に「行ってこいよ」と声を掛けられ「今日は行けでいいのです」とほほ笑み、頭を下げ元気よく駆け足で立ち去った。想像すると目頭が熱くなる。

霞ケ城が落城する7月29日。奥州街道沿いの激戦地・大壇口に砲術指南の木村銃太郎を隊長とした少年兵25人が出陣し、大砲と銃で新政府軍を苦しめた。しかし、銃太郎は腰に銃撃を受け、天命を悟って副隊長に介錯(かいしゃく)を頼み、22歳の生涯を閉じた。少年兵らは銃太郎の体を埋め、首を持って退却した。少年8人が戦死した。

◆子孫が思い受け継ぐ

銃太郎を先祖に持つ木村家の子孫は本宮市に住む。「大壇口の近くを通ると先祖を思って気を引き締める」。会社経営の木村巧さん(45)=同市白岩=は「先祖が少年兵を守れなかったことを忘れてはいけない」と親に言い聞かされてきた。同市荒井の木村家に嫁いだ木村喜美子さん(78)によると、亡き夫も「隊長の子孫という責任がある」とたびたび口にした。銃太郎が抱いたであろう葛藤が今も残されている。

近年判明した事実がある。二本松市の正慶寺にある銃太郎の墓を新しい墓所へ移した際、墓石の下から銃太郎の遺骨が出た。子孫は銃太郎が供養されていたことに安堵(あんど)した。

後の陸軍大将・野津道貫(薩摩藩士)は戊辰戦争を振り返り、大壇口の戦いを「射撃がすこぶる正確でわが軍は前進を阻害された。迂回(うかい)して辛うじて撃退できたが、戊辰戦争で最も激しい戦いだった」と述べ、少年兵の奮戦をたたえた。さらに野津は、後に「大壇口の二勇士」と称される二本松藩士の山岡栄治、青山助之丞の勇猛な戦いも伝えた。この2人は、大壇口を突破しようとする新政府軍に、命をなげうって斬りかかり、少年兵らの退却を助けたという。

「二勇士は郷土のために戦った。負けると分かっていても目の前の少年兵のために必死だった」。二本松市出身のギタリスト山岡トモタケ(知剛)さん(33)は、二勇士の山岡の子孫に当たる。子どもの頃から功績を聞かされ、「誇らしく感じていた。先祖に負けないよう頑張らなくてはいけない」と心に刻む。大壇口の古戦場には二勇士の記念碑が建立されている。

知剛さんは大学時代の軽音部員で結成したロックバンド「WHITE ASH」(2017年解散)のギタリストとして全国的に活躍し、現在は新たなバンド「sotto」で活動を続けている。「戊辰戦争から150年。子孫としても郷土を思う気持ちは強い。何とか地元を盛り上げたいと思っている。刀をギターに変え、音楽で必死に戦っていきたい」と、大壇口を歩き、先祖に思いをはせた。

少年兵の悲劇は半世紀、歴史に埋もれていたものだった。

1917(大正6)年、旧藩主丹羽家の菩提寺(ぼだいじ)である大隣寺で戊辰戦没者50回忌法要が行われた。14歳の時、大檀口で戦った水野好之が参列者に「二本松戊辰少年隊記」という冊子を配布した。少年兵の無念を伝えたいと作成したもので激戦の様子が記録されていた。冊子の表題から少年兵を総称して二本松少年隊と呼ぶようになった。大隣寺境内には現在、戦死した少年兵の供養塔が並ぶ。

少年兵たちのことが50年も公にならなかったことについて、元二本松市文化課長の根本豊徳さん(66)は「藩士や少年兵の家族に賊軍の負い目もあっただろう。また、子どもを出陣させた自責の念が強かったのでは」と推察する。

そして今は別の意味で「少年隊を後世に伝える難しさはある」と、学校で郷土学習の講師を務める根本さんは言う。

古里や肉親を守ろうと戦った少年兵たちの思いを今の子どもたちにも知ってほしい。しかし、戦争を美化して捉えてはほしくない。150年前の戦争と、現代の戦争は全く違う。現代は誰も戦争を肯定しない。根本さんは「150年後の今、少年隊を教訓として理解してほしい」と話す。

※「戊辰戦争」「明治維新」を新たな視点で問い直す長期大型連載「維新再考」は、引き続き福島民友新聞で毎週月曜日に掲載します。どうぞお読み下さい。

連載「維新再考」の保存版は、第1部「識者に聞く」のうち、「半藤一利さん編」(全7回)、「中村彰彦さん編」(全7回)、「磯田道史さん編」(全3回)、「森田健司さん編」(全7回)の4編があります。福島民友販売店で無料で提供しています。問い合わせは福島民友新聞社販売局(電話024・523・1472)へ。