【維新再考・100日間の攻防】白河編2 迫る新政府軍、迎え撃つ

本県や東北の視点から明治維新を問い直す「維新再考」の第4部・白河編。戊辰戦争の勝敗を決定づけた「白河口の戦い」の跡を「会津会」会長でNHK解説主幹の柳沢秀夫さん(64)=会津若松市出身=とたどる歴史の旅の第2回は、最大の激戦地へと踏み込む。まずは、戦闘に至る経過と序盤に焦点を当てる。

白河口の戦いの序盤の激戦地で、旧幕府軍側の陣地となった稲荷山に立つ柳沢さん(中央)ら。中腹には会津藩家老・西郷頼母の歌碑や、旧幕府軍や新政府軍の戦死者を慰霊する記念碑が建立されている。写真奥の丘陵は「小丸山」付近で、稲荷山に対する新政府軍の陣地だった=白河市九番町西裏

◆柳沢秀夫さんと歩く

「向こうから新政府軍が攻めてきたんですね。当時の会津藩士はどんな気持ちで待ち構えたのか」

柳沢さんが、白河市中心部の南側に位置する小高い丘の頂上に立ち、南方を見渡した。丘の名は「稲荷山」。旧奥州街道がほぼ直角に曲がる場所で、江戸時代は城下を守る関門も置かれていた。水田を挟んで向かい側が小丸山と呼ばれる丘陵だ。

白河口の戦いでは旧暦の慶応4(1868)年閏(うるう)4月25日、旧幕府側が稲荷山、新政府軍が小丸山を陣地に本格的な戦闘を始めた。

◆小峰城奪い初戦快勝

東北の玄関口である白河は重要な軍事拠点。幕末、白河を治めた阿部家は、66年に棚倉移封が決まり、白河は幕府の支配地となった。その後、朝廷の直轄地となっていた68年、新政府軍は関東と接する白河を会津攻略の拠点にしようと、二本松藩や仙台藩などに白河小峰城を守備させていた。

「会津藩は小峰城を奪った後、この稲荷山にも陣を置いた。新政府軍が、宇都宮から迫っていた」。稲荷山周辺の住民らでつくる「白河会津戊辰戦死墓管理会」の加藤正信会長(67)が解説した。

会津藩は閏4月20日、小峰城を襲撃した。わずかな抵抗はあったが、二本松藩兵などに戦意はなく簡単に占領を許した。これは東北諸藩が新政府に対抗するための作戦だった。新政府軍からみれば、宇都宮まで迫っていたが、みすみす白河を奪われた格好となった。

柳沢さんは「会津藩が小峰城を奪った20日は、くしくも会津征討を指揮した悪名高い世良修蔵が暗殺された日と同じ。会津藩は連帯感を強め、士気を高めたのでは」と想像を膨らませた。

新政府軍は白坂宿を越え、閏4月25日、ようやく稲荷山周辺に攻め寄せた。会津藩はすでに陣を敷いており、初戦は快勝した。しかし、この5日後、会津藩や奥羽列藩同盟軍約700人が戦死する惨劇が起きた。

◆仙台藩の和平工作 阻まれ続けた会津救済

白河口での開戦前夜、東北での戦争を回避するため、じりじりする和平工作が、仙台を軸に展開された。

戦火の急迫を前に、朝敵に名指しされた会津藩は、新政府側に恭順の姿勢を示しながらも臨戦態勢を整えていた。

新政府側は、会津が陣取る奥羽の平定に向け、奥羽鎮撫総督府が1868年3月23日(以下全て旧暦)、仙台城下(現仙台市)に入り、鎮撫総督の公卿九条道孝が、会津藩征討の命を1月に受けても動きをみせていない仙台藩を叱咤(しった)し出兵を急がせた。

武力行使を望まない仙台藩は、事態の引き延ばしを図っていた。2月時点では新政府に征討の批判と再検討を求める異議申し立ても検討(建白奏上は断念)。同時に米沢藩と協力し、2月末から会津藩と水面下で交渉、新政府軍への謝罪降伏を周旋した。

しかし、会津藩の謝罪にも新政府は討伐方針を変えなかった。このため会津藩は朝敵となった庄内藩(現山形県)と4月10日、軍事同盟(会庄同盟)をひそかに結んだ。

一方、仙台藩は、新政府の再三の督促に同20日の土湯(福島市)から始まり石筵、中山、御霊櫃(以上郡山市)など、会津の藩境地域を攻めた。ただ、この時、両藩に戦意はなく、形式的で小規模な戦闘がしばらく繰り返された。

同時に水面下では4月13日、仙台、米沢両藩が会津藩の救済について協議を開始。会津藩とも謝罪の条件の交渉を進め、閏4月1日、ようやく会津藩が譲歩し条件をのんだ。

この協議では、会津藩の謝罪が受け入れられず、新政府軍が「暴挙」を仕掛けてきた場合、奥羽諸藩で連合し、薩長を「偽官軍」として追討する―との申し合わせもなされた。

これを受け仙台、米沢両藩は会津藩救済と停戦を東北諸藩に呼び掛け、閏4月11日には仙台藩領の白石城(現宮城県白石市)で14藩の代表が、会津藩への寛大な処分を求め奥羽鎮撫総督への嘆願書提出を決定。後に11藩も加わり、計25藩による「奥羽列藩同盟」が成立した。

嘆願書は翌12日、奥羽鎮撫総督に提出されたが、総督下参謀(げさんぼう)、長州藩士・世良修蔵が「会津藩主・松平容保(かたもり)の首」を求め、嘆願書は却下。総督は会津征討を厳命した。

やなぎさわ・ひでお 1953年、会津若松市生まれ。会津高、早稲田大政治経済学部卒。会津藩士の子孫。77年にNHK入局、横浜、沖縄各放送局記者を経て84年から外信部記者。バンコク、マニラ各特派員、カイロ支局長を歴任しカンボジア内戦、湾岸戦争などを取材した。現在はNHK解説主幹で、生活情報番組「あさイチ」に3月まで出演していた。2017年から会津会(東京)の第8代会長。64歳。

※「戊辰戦争」「明治維新」を新たな視点で問い直す長期大型連載「維新再考」は、引き続き福島民友新聞で毎週月曜日に掲載します。どうぞお読み下さい。

連載「維新再考」の保存版は、第1部「識者に聞く」のうち、「半藤一利さん編」(全7回)、「中村彰彦さん編」(全7回)、「磯田道史さん編」(全3回)、「森田健司さん編」(全7回)の4編があります。福島民友販売店で無料で提供しています。問い合わせは福島民友新聞社販売局(電話024・523・1472)へ。