【維新再考・流転の地】斗南編5 希望託し教育の種まく

陸奥の地の厳しい環境の下、食べ物にも事欠くような苦闘を続けながら、会津の人々は「教育」の大切さを決して忘れなかった。そして、その取り組みは、やがて北の地で芽を吹いていった。作家・星亮一さんによる「維新再考」斗南(となみ)編の第5回は、斗南藩の教育について語る。

斗南藩の藩庁や日新館として利用された円通寺(2014年撮影)。現在は建物が建て替えられている=青森県むつ市

学問を身に付け懸命に励めば、必ず報いられる。会津人にはそうした哲学があった。

1870(明治3)年7月、下北郡田屋村(現青森県東通村。以下かっこ内の地名はすべて青森県)に入植した元会津藩士、荒川類右衛門(るいえもん)と、その家族の苦労は、本連載・斗南編の第3回で、その一端を述べた。藩からのわずかな支給米を頼りにした荒川家の開墾生活は窮乏し、同年11月には3歳の三男を栄養失調で亡くした。

この過酷な日々にあって、類右衛門は、ささやかな学習塾を開いて、子どもたちに漢文を教えたのだった。

目の前の子どもたちは、汚い着物を身にまとい、体にシラミがわき、朝から晩まで野山や浜辺を歩き、(食糧にするため)野草摘みや昆布拾いに明け暮れている。類右衛門は、その姿に、いてもたってもいられなかった。

もはや、哲学というよりも、教育への渇望と言ったほうがよいかもしれない。

斗南藩も、学校の開設にいち早く手を付けた。どん底にある斗南藩をまともな藩にするには、次の世代に託すしかない。そのためには教育が必要だった。

同藩の行政トップ、山川浩らは、保管されていた旧会津藩黌(はんこう)日新館の書籍を下北に運んでいた。漢学、和学、神道、歌学、天文学、習字、算術、音楽、医学と広範囲に及ぶものだった。

この遺産を生かすため田名部(たなぶ)(現むつ市)、五戸(現五戸町)、三戸(現三戸町)に開かれた学校が、正式名称「斗南藩学校日新館」だ。それぞれに分局があり、田名部学校は野辺地、斗南ケ丘など4カ所に、五戸は中市、三本木など5カ所、三戸は二戸に分局を置いた。

教員は全体で29人。分局教員は17人で、生徒数は全体で1100人を数えた。このほかに郷学校が田名部、五戸、三戸にあり、教官3人、生徒約100人がいた。

授業の中心は漢学だったが、海外事情も取り上げられ、世界の政治、地理、物産が講義された。女子の入学も認められた。

教育の責任者は藩の権少参事広沢安任で、教育の基本理念は門閥の打破、人間皆平等、科学技術教育の推進、諸機械の導入。広沢は、元幕臣で慶応義塾の創立者、福沢諭吉とも親交があり、多分に福沢の思想も導入されていた。

荒川類右衛門も、長男秀太郎を田名部の学校に入学させた。類右衛門が記した「明治日誌」には、その入学を喜ぶ自身の姿が描かれている。

こうなると大規模な学校に思えるが、実際は異なっていた。

斗南移住直後、子弟の多くは、食べ物はもちろん履くものも着るものもなく、学校どころではなかった。後の陸軍大将で、当時10歳の柴五郎は、冬になっても履物一足なく、氷雪の上をはだしで歩いた。足は凍傷となり、歩けなくなった。家に書物は一冊もなく、勉強の術(すべ)もなく、学校へは通わなかった。

ただ、教育を大切にした会津人たちが、この地にまいた種は確実に芽を出した。

◆芽吹き各界で存在感

大きな追い風となったのが、廃藩置県(1871年)と教育制度改革(73年)だった。

廃藩置県後の府県制度の創設で、各地に郡町村などの役場が整えられると、読み書きのできる旧会津藩士らが職を得、その学問や行政手腕が高く評価された。

例えば、両親と斗南に移り住んだ鈴木武登馬(むとめ)(1862~1927年)は1887(明治20)年、三沢村(現三沢市)役場の書記となり、収入役、助役を経て97年には第2代村長に選ばれ、その後、8期にわたり村長として地域振興の礎を築いた。

教育制度改革で全国に公立小学校が開かれると、これも斗南の会津人にとっては、またとない就職の機会となった。下北半島では田名部、大間などの各小学校。このほか青森、野辺地、三戸、五戸、八戸など主な小学校の校長、教員に斗南藩士が採用された。

76年開設された官費制の青森師範学校にも、教育熱心な旧斗南藩士の子弟がこぞって入学。青森の教育界をリードし続けた。例えば三戸小では2、3、7、9、13、14、16代の校長を斗南藩士の子弟が占めている。

その後も会津人の末裔(まつえい)たちは、地元各界で重要な役割を担っていった。1979(昭和54)年から4期、青森県知事を務めた北村正哉氏をはじめ、自治体の首長を務める斗南藩士の子孫は少なくなく、現在にいたるまで存在感を発揮している。

ほし・りょういち 1935(昭和10)年、仙台市生まれ。東北大文学部国史学科卒。日大大学院総合社会情報研究科修士課程修了。元福島中央テレビ報道制作局長。戊辰戦争研究会主宰。「奥羽越列藩同盟」「会津落城」「明治維新というクーデター」など著書多数。先祖は仙台藩重臣・佐藤宮内の家中で、戊辰戦争・白河口の戦いにも参戦した。郡山市在住。

※「戊辰戦争」「明治維新」を新たな視点で問い直す長期大型連載「維新再考」は、引き続き福島民友新聞で毎週月曜日に掲載します。どうぞお読み下さい。

連載「維新再考」の保存版は、第1部「識者に聞く」のうち、「半藤一利さん編」(全7回)、「中村彰彦さん編」(全7回)、「磯田道史さん編」(全3回)、「森田健司さん編」(全7回)の4編があります。福島民友販売店で無料で提供しています。問い合わせは福島民友新聞社販売局(電話024・523・1472)へ。